tranning world 「旅のフォトコラム」

旅の情報を常に、お届けします!! 読んで貰うブログより、見て貰うブログにしていますので、写真画像を中心に掲載しています。

2015年03月

ベトナム旅行に行ってから早一か月以上も経ったにも関わらず、まだ相変わらず記事にしていますが、それも3日間滞在した「ハノイ」が終らない。まだホテル、レストラン、グルメで紹介したいのはあるのですが、まだ「ダナン」、「ホイアン」、「ホーチミン」がありますので一旦 ...

「マー・マイ通り」は、旧市街でもカフェやバー、ミニホテルやホステル、ツアーデスクがひしめき合うツーリスト・ストリートでバンコクの「カオサン通り」のような処。そんな通りにあるホテに宿泊し、その斜め前に「マー・マイ87番の家」(旧町家保存館)がありましたので、空 ...

「玉山祠(ぎょくさんじ)」は、ホアンキエム湖(還剣湖)の北岸近くにあるゴックソン島に建つ、13世紀に創建された寺院。15世紀に授かった神剣で、中国を破ったレ・ロイ王が大亀を通じて剣を神に返した場所。中には1968年に捕獲された大亀の剥製が。。。ホアンキエム湖の近くの ...

1886年、仏教寺院の跡地に建立されたハノイで最も大きな教会。その後、1900年初頭に現在のふたつの尖塔を有するネオゴシック様式に改築された。この日早朝の散策時に訪れ、金曜だったので予定していた「ホーチミン廟」が休館(全く事前に確認もしなかった)で行けなくなり、 ...

ここ朝の7時からすでに洋服屋が店をオープンしていたり、あっちこっちで朝食の屋台の店に人が溢れていた。そしてバイクの洪水が一日の始まりを表現しており、こうゆう風景が毎日続くのだなと思うと引き付けるものがあります。 ...

果物、野菜、魚介類、お肉などの食品から日用雑貨、生地、衣料品、民芸品などの土産品、革製品、化粧品、アクセサリーなど、あらゆるものが揃うドンスアン市場。かつては東南アジアでもっとも栄えた場所のひとつであり、今でもベトナムの首都・ハノイのなかで最も古く、最大 ...

ベトナム旅の続きです。(仕事の出張とかがあり途絶えていましたが、まだまだ画像が豊富にありますので暫く続きますので、飽きずにお付き合いください。)すでに帰国後一か月以上経ってますが、未だに3日目の朝の記事。「ロンビエン橋」で列車を見たら是非行ってみたくなった ...

毎年二回開催される「モンベル フレンドフェア」に今回も行ってきました。以前は「さいたまスーパードーム」でも開催されてましたが、ここ最近は「パシフィコ横浜」ばかり。目的は巷では、「アウトドア系のユニクロ」と言われていますが、モンベル商品のアウトレット商品の ...

ジャクソンブラウンのコンサートが18:30開場19時開演だったので、コンサート会場は渋谷「Bunkamura オーチャードホール」。この日は1日休みを取ったので、思いついたのが渋谷だったら「井の頭線」に乗るチャンスと思い、まずは一路「吉祥寺」へ。そこから歩いて「孤独のグル ...

「ジャクソン・ブラウン」のコンサートに行ってきました!「マイケル・ジャクソン」でも「ジェームス・ブラウン」でもなく「ジャクソン・ブラウン」。永遠の吟遊詩人(ぎんゆうしじん)、1970年代後半に圧倒的な人気を誇っていたシンガーソングライター。あのころハード、プ ...

「カオス」・・・という言葉を「世界一周ブログ」等で良く聞く言葉で、意味としては「混沌」とかの訳ですが、東南アジア、インドとかの特に旧市街のゴミゴミした何十年も前にタイムスリップした様な感じを、味わう時に表現するのに使っているブロガーが多く見かけます。そう ...

家族での旅行の時にいつも朝早く起きて、一人で散歩に行くのが一人旅を味わえる唯一の貴重な時間。まだ6時過ぎでも暗く、8時の朝食までに戻ってくるとの約束で目いっぱい2時間歩いてきました。紅河にかかる「ロンビエン橋」は、フランス植民地時代に造られ、ベトナム戦争中米 ...

「ハロン湾日帰りツアー 」最後の画像、「ティエンクン鍾乳洞」の見学を終えると16時30分すぎに桟橋に戻り再びバスに乗ってハノイ市内へ、ハノイに着くのは20時すぎ。冬のこの時期は日帰りツアーで充分かと思いましたが、春から夏にかけての季節は是非船中泊のクルーズに乗っ ...

「ハロン湾日帰りツアー 」の最後の見学ポイント、「ティエンクン洞」はダウゴー島にある鍾乳洞で天宮と言うの意味だそうです。1993年に水上生活者が発見したとのことで、まだ歴史が浅い鍾乳洞。階段を登ってから中に入ると、ライトアップされた幻想的な世界が。。。 ...

この水上生活者を見ると、以前話題になっていた「ベトナム難民」を思い出してしまった。これと同じ船に乗って国を脱出して日本に漂流してきた方、でもかなりの人が途中で犠牲になり海の藻屑となったとの事。今のベトナムを見れば、あの時に命の危険を冒してでも国を捨てる決 ...

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