カンボジアには歴史に関わる見るべきものが、大きく分けて2つあります。

 

1つはシェムリアップを中心にした、9世紀から12世紀末にかけてあの栄華を誇ったクメール王朝の「アンコール遺跡群」。

 

そしてもう1つは首都プノンペンにある、つい今から40~50年前に支配していた暗黒の「クメールルージュ」の傷跡。

 

プノンペンに着いた翌日に、早速その舞台になった「トゥールスレン虐殺犯罪博物館」に行って来ました。

 

 

プノンペン~「トゥールスレン虐殺犯罪博物館(Tuol Sleng Genocide Museum)」

 

 

 

ここは「独立記念塔」からもそんな距離がなかったので、ゆっくりと街中を散策しながら歩いて行きました。

 

トゥール・スレンとは「毒の木の丘」の意味で、S21はクメールルージュ支配下において設けられた政治犯収容所の暗号名。

 

 

 

 

 

 

 

見た目は日本でもどこでも見かける建物が校舎になった学校の光景、ここも収容所になる前は高校だったとのこと。

 

なので各部屋には黒板、教壇がそのままになっていて、その教室ごとに雑居房、独房とになっている。

 

今から46年前の1976年に突然この学校が収容所になってしまった。

 

2年9か月の間に14,000~20,000人が収容されたと言われ、そのうち生還できたのは8人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1976年~80年の頃は自分は丁度大学生だった頃、その時は内戦がおこっている事は分っていたがここまでひどい虐殺がここで行われていたとは、ニュースとかでも大きく取り上げてなかったのでは。

 

青春を謳歌していた時期で、大学の卒業する前の丁度今頃はアメリカ一周のバスの旅をしていました。

 

今のコロナ禍では大学生が卒業旅行も行けなくて、大変気の毒に思います。

 

今も世界中のどこかで内戦が起こっていて、規模がどうであれこの様な虐殺がおこっていると思うと心が痛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう一か所プノンペン郊外にある「キリングフィールド」にも訪問しましたので、その時の模様は後日報告します。

 

 

*2018年の1月に訪れた時のものですが、途中になってしまったままだったのであえて今の時期海外に何処も行けませんが、早く元通りになってどんどん行ける様にと願いを懸けて、これからも暫く過去記事ですが紹介していきます。